絆の会について

「絆の会」の今日までの歩み
(2019年9月改定)

社会福祉法人絆の会は、長野地域で15年間、任意組織で活動してきた「りんどう会」が、2003年に発展的に改組して組織されました。

総集編

りんどう会発足と喫茶りんどう開設

長野市にある長野県精神衛生センター(現「精神保健福祉センター」)は、全国に先駆けて精神保健ボランティア養成講座を開設するなど、地域の中で精神障害者を支える広報普及活動を進め、ボランティア組織『桐の会』(1987年)や地域家族会『長野社会復帰促進会』(1988年)の発足を支援し、それらの組織が主体となって精神障害者の憩いの場・働く場としての喫茶店を運営するために『りんどう会』が発足しました。

1988年5月
喫茶店開設準備委員会発足
1988年8月
任意団体「りんどう会」発足
1988年9月
「喫茶りんどう」を長野県社会福祉総合センター内に開設

*「喫茶りんどう」は「職親事業所」としてスタートし、2002年「小規模訓練施設(共同作業所)」に組織替えし、2007年10月に障害者自立支援法に基づく就労継続支援B型施設「悠友ハウス」の1事業部門となりました。
2013年4月からは「就労移行支援事業所」に移行し、2020年2月、長野県社会福祉総合センターの指定管理期間終了により喫茶店を閉店。2020年4月から「悠友ハウス就労支援センター」と名称を変更し、法人本部建物内へ移転し、現在に至っています。

共同住居開設

家族の「親なき後」の心配や退院者にとっての必要性から、共同住居を作ろうと国・県等の助成制度が何もない中で多くの方々の暖かいカンパにより、県下第2号、この地域で初めての共同住居が設置されました。

1990年7月
精神保健センター主導により共同住居設置研究会発足
1991年4月
「清水アパート」を開設(1993年4月グループホームとなる)
1992年4月
「竹内アパート」を開設(2005年5月閉鎖)
1993年5月
「若里アパート」を開設
1997年10月
「相ノ木アパート」を開設
2006年1月
「ハイツ清滝」を開設
2008年3月
若里アパートを移転し名称を「リアン若里」に変更
後掲≪グループホーム・ケアホームの歩み≫をご覧ください⇒こちら

共同作業所の開設

1990年代当初「精神障害者の働く場」は、長野市域では市立のもの1か所と「喫茶りんどう」だけで、働き集う場を作っていくことも急務でした。「ゆたか荘」を第1号に働く場居場所としての共同作業所を、これも多くの方々のカンパや支援に支えられて、開設・運営してきました。

1992年4月
小規模訓練施設「ゆたか荘」を開設
1994年4月
小規模訓練施設「キャロットハウス」を、㈱平林産業内に開設
1994年7月
憩いの場「りんどうの家」を開設1995年5月小規模訓練施設に移行
2002年4月
「喫茶りんどう」を小規模訓練施設に移行
2002年7月
小規模訓練施設「第2ゆたか荘」を開設

後掲≪共同作業所から就労支援事業所へ≫をご覧ください⇒こちら

念願の社会福祉法人化へ

2000年、障害者の授産施設を拡大する等のため、社会福祉法人の設立要件が緩和されました。 精神障害者の地域生活支援のために活動分野を広げてきたりんどう会も、任意団体ではできることに限界があり、また財政的にも困難が大きいため、社会福祉法人化を図ることになりました。篤志家のご好意により、念願の本部事務所を持つことができ、基本財産作りの募金には1,500人もの方からご支援をいただいて、多くの皆さんの期待の中「社会福祉法人絆の会」が発足しました。

2002年6月
地域生活支援センター「皆神ハウス」開設準備開始
2003年6月
「社会福祉法人絆の会」設立認可・登記完了
松代地区に地域生活支援センター「皆神ハウス」を開設
「ゆたか荘」、法内施設「小規模通所授産施設」に移行
2003年8月
15周年記念式典記念誌「出会いふれあいそして絆へ」編集発行
~2004年4月
キャロットハウス建設計画が補助事業から外れ、大運動展開
2004年5月
キャロットハウス建設委員会発足
2005年6月
新「キャロットハウス」建物竣工
2005年10月
「キャロットハウス」、法内施設「小規模通所授産施設」に移行

障害者自立支援法下の絆の会

2006年4月、障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法整備として、障害者自立支援法が施行された。この法体系下では、社会福祉法人設立要件による事業者間の垣根が取り払われ、絆の会のように下から這い上がってきた弱小の事業者には財政面で改善された面も大きかった。しかし、「受益者」負担の導入や、障害程度区分の運用等に問題点があり、特に障害があるが故の必要な支援に「受益」として利用料を負担させることは受容しがたいことであった。絆の会はこれらの抜本的な改善のため、全国のなかまと連帯して積極的に取り組んだ。

2006年10月
「皆神ハウス」地域活動支援センター(Ⅰ型)・相談支援事業所に移行
グループホーム4施設が共同生活援助・共同生活介護施設に移行
「ハイツ清滝」短期入所事業所に指定
2007年3月
「キャロットハウス」増築
2007年4月
「キャロットハウス」就労継続支援施設B型に移行
「アンダンテ(旧第2ゆたか荘)」「喫茶りんどう」「りんどうの家」
地域活動支援センター(Ⅲ型)に移行
長野県退院支援事業の北信エリアの受託事業者として指定を受け、退院支援コーディネーター2名を配置して精力的に取り組む。(期間2年間。2009年度継続。2011年国庫補助事業「地域移行コーディネータ事業」として継続。)
2007年6月
~2008年9月
「りんどう会・絆の会20周年記念事業」(記念事業委員会)

2007年10月
絆の会ホームページ開設
絆の会ロゴマーク制定
2008年3月
若里アパートを閉鎖し、「リアン若里」開設(定員7人。「リアン」はフランス語で、「絆」の意)
2008年4月
映画「ふるさとをください」上映会。700名の盛況
2008年5月
アンダンテ、「あんだんて」に名称変更して、篠ノ井駅前へ転進
2008年9月
絆の会パンフレット作成
20周年記念式典・記念講演会開催。講演講師は鎌田實先生。700名の大盛会
2008年10月
「ゆたか荘」就労継続支援B型施設に移行。施設名も「悠友ハウス」に変更。
「喫茶りんどう」を「悠友ハウス」の1事業部門とする
「あんだんて」、就労継続支援B型施設へ移行。作業内容は豆腐製造販売と軽食喫茶 
2009年2月
篠ノ井地区に初めてのグループホーム「クレール篠ノ井」開設(定員5人。「クレール」はフランス語で「明るい」の意)
2009年4月
~2011年3月
みらいコーポ稲葉の建設

2009年9月
絆の会ソフトバレーボールチーム、県大会にて初優勝。県代表で2010年6月の北信越東海ブロック大会に出場、初戦で惜敗。
2009年11月
第1回精神保健福祉ボランティア講座開講。11月20日から12月4日まで3日間。受講者8名。
2010年9月
絆の会ソフトバレーボールチーム、県大会にて2連覇。県代表で2011年6月の北信越東海ブロック大会に出場、決勝戦で接戦の末惜敗。準優勝。
2011年3月
東日本大震災・長野県北部地震発生。直ちに義援金募金に取り組み、3次にわたり30数万円を送る。
2012年4月
就労継続支援B型施設「お寄り家びーんず」篠ノ井へ開設。作業種目は、弁当・惣菜製造販売とあんだんてでおこなっていた豆腐製造販売。
絆の会支援者を広げるため、絆の会支援委員会発足。絆の会後援会は解散。
2012年5月
ボランティアの研修・交流などをとおして、一層絆が深められるよう、ボランティア委員会発足
2012年11月
NPO法人ポプラの会と共催で、きょうされん常務理事藤井克徳氏を招き講演会「障害者福祉における国の動きと私たちのあした」開催。400名の盛況。大きな感銘を呼び起こす。

自立支援法から総合支援法へ

2013年4月、新たな法律として障害者総合支援法が施行された。応益負担をめぐっては、訴訟まで起こる障害者自立支援法の改善要望の大きなうねりの中で、新しい「障害者総合支援法」の制定が期待されたが、課題は3年後に先送りされ、名称を変えただけで内容は殆ど変らないものであった。

2013年4月
喫茶りんどうは就労移行支援事業所に移行。B型事業所の商品の販売拡大のため、「販売促進部」を喫茶りんどうに設置し、専任スタッフを配置。
2013年4月
国庫補助事業であった「精神障害者地域移行コーディネータ事業」が廃止され、代わりに県単独事業「精神障害者地域生活支援コーディネータ事業」を受託することとなったが、予算は大幅に縮小となる。
2013年6月
絆の会当事者の会発足
2013年9月
社会福祉法人絆の会法人化10周年(りんどう会通算25周年)記念事業実施
2013年9月21日
記念式典・記念公演(松井朝子さんのパントマイム公演、合唱など)700名の大盛況
2017年4月21日
悠友ハウス・法人本部開所式
2018年10月5日
絆でつながる30年(法人化15周年)記念事業開催
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